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「あの人がやっていたから」という選択について

「あの人がやっていたから、きっと自分もできる」

そんな風に、誰かの選択をなぞって自分の道を決める人がいる。転職、起業、留学、引っ越し…人生の様々な場面で、成功している人の行動を参考にするのは自然なことだ。

でも時々、その選択に違和感を覚えることがある。

目次

見えるものと見えないもの

人の選択をなぞるとき、私たちが注目するのは「何をしたか」という行動の部分である。それは目に見えて分かりやすく、真似しやすく感じられる。

一方で見落としがちなのは、その人がなぜその選択をしたのかという背景だ。その人の価値観、経験、置かれていた状況、タイミング…そうした見えない前提条件があってこそ、その選択が意味を持っていたのかもしれない。

表面的な行動だけをコピーしても、同じ結果にならないのは当然のことである。

なぜ人をなぞってしまうのか

人をなぞる選択をしてしまう理由は、決してその人に能力がないからではない。

不確実な状況で判断することへの不安、複雑な思考を避けたい気持ち、失敗への恐怖…そうした心理が働いているのかもしれない。また、憧れの人に近づきたいという気持ちや、成功例に安心感を求める気持ちも理解できる。

誰にでも、自分で判断することが怖くなる瞬間はあるものだ。

失われていくもの

でも、いつも人をなぞる選択を続けていると、大切なものを見失ってしまうかもしれない。

その人にしかない経験、感性、視点…そうした固有の価値が表に出てこなくなる。自分の内側からの理由ではなく、借り物の理由で選択するため、周囲の人に納得してもらうことも難しくなる。

そして何より、自分の人生を傍観者のように過ごしてしまうことになる。

当事者として生きること

人生の選択には、必ず責任が伴う。うまくいかなかったとき、誰かのせいにすることはできない。

でもその代わりに得られるのは、自分で考え、判断し、結果を引き受けるという当事者としての実感である。失敗も成功も、確実に自分のものになる。

一緒に何かを作り上げていくとき、お互いが当事者意識を持っていると、本当に豊かな関係が生まれる。それぞれの視点や発想を持ち寄って、新しいものを創造していく喜びがある。

小さな一歩から

自分で考える習慣は、一朝一夕には身につかない。

まずは小さなことから始めてみる。今日の昼食を選ぶとき、休日の過ごし方を決めるとき、「自分はどうしたいか」「なぜそう思うのか」を少し立ち止まって考えてみる。

正解はない。大切なのは、自分なりの理由を持つことである。

おわりに

人をなぞることが悪いわけではない。参考にすることと、丸ごとコピーすることは違う。

他の人の選択から学びながらも、最終的には自分の頭で考え、自分の責任で決断する。そんな当事者として生きる人が増えれば、きっともっと豊かな関係性や創造的な営みが生まれるのではないだろうか。

あなたにしかない視点や経験を、大切にしてほしい。それは誰にも真似できない、あなただけの宝物なのだから。

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この記事を書いた人

ライター、エッセイスト、あるときはラボテクニシャン。自分の人生に集中できる人を増やしたい。

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