「残業を1時間でもしたくないと言って辞めていくんですよ」
後輩が “信じられない” というような顔をして、新人たちが辞めていく理由を私に話してくれた。
わたしも残業はしたくない。
後輩の言いたいこともわかるが、新人たちの退職理由はまともじゃないか、と思った。
あらかじめ決められた就業時間を毎日超えて働かせる在り方は、当初の約束と違うはずだから。
わたしの就活時代は、残業が多い会社で溢れていたように思う。
しかし、時代は変わっている。今では、残業の少ない会社はザラにあるだろう。すぐに見切りをつけて、転職の判断ができるほうが優秀にも思える。
しかし、ふと、残業してもいいと思っている人、残業したくないと思っている人にはどういった違いがあるのだろう、と思った。
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わたしが残業したくなかった理由は、早く帰りたかったからだ。
帰ってから自由な時間を過ごしたい。
ゆっくりするのもそうだし、ゲームをしたり楽器を弾いたりと趣味にも時間を使いたい。
本を読んだり、勉強したりもしたい。
とにかく、会社に自分の時間を奪われたくないと思っていた。
会社に時間を〝奪われている〟感覚が起こるのは、自分にとってやりたいことをしていないからだ。
やりたくないことを強制され、自分が削がれるような気持ちになったり、
できることが増える感覚にならず、今やっている仕事が自分の将来のためになるのか疑問に感じたり。
実力主義とはいえ、会社には何となく年功序列の雰囲気はある。同じ場所に居続けることで社内の自分の価値は少しずつ上がるかもしれない。しかし、会社を飛び出した外の世界、いわゆる市場での自分の価値は下がっている気さえする。今のままではこの会社でしかやっていけなくなるのではないか。そうなれば、社内で理不尽に遭ったときに逃げられなくなる。という不安もあるだろう。
だから、少しでも早く帰り、自分のできることを増やすための活動に時間を費やしたい。自分が自分でいられる時間を失いたくない。と思う。
残業を許容できる人というのは、会社に時間を奪われている感覚がないのかもしれない。人生の時間を会社に渡しているとは思わず、社会人はそういうものだと割り切っているのかもしれない。あるいは、仕事の時間を有意義なものとして扱えている可能性もある。
前置きが長くなってしまったが、
「残業したくない」はやる気がないとか、極力仕事をしたくないとは少し異なる気がしている。
本質的には「この仕事に自分の時間を費やしたくない」という意味を持つのではないだろうか。
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ちまたで〝ワークライフバランス〟という言葉をよく聞く。
残業を理由に辞めていく新人たちも、このワークライフバランスを重要視しているのだろう。
しかし、ワークライフバランスを追求していけば、わたしたちは本当に満足なのだろうか。
早く帰りたいと思う以上、会社に時間を奪われていることに変わりはない。家でどう有意義な時間を過ごすか考えることも大事だが、それよりも仕事の時間をどう有意義に使うかを考えたほうが、人生の満足度は上がるのではないだろうか。
わたしたちが本当に選ぶべきなのは、残業がない職場、福利厚生が充実している職場ではなく、
時間を忘れるくらい夢中になれる仕事だと思う。
残業が皆無だったとしても、1日8時間を仕事に費やす。1ヶ月の労働日数が20日ならば、1ヶ月で160時間、年間で1,920時間にもなる。その貴重な時間を使い捨てるのは勿体ない。
仕事以外の時間で、つい夢中になってしまうことはないだろうか。自分を表現することだったり、頭を使うことだったり人によって違うだろう。自分がどんなことに夢中になるのかを知り、自分の心が喜ぶことを仕事にすることこそがワークライフバランスを採用するよりも大切だと考えている。
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