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我慢するのが大人ではない

我慢をするのは大人ではない

「嫌だなと思ったことを我慢してやるのが大人」と言っている人がいて、
私とはまったく違う考え方だな、と思った。

どちらかと言うと、嫌だなと思ったことがあるなら、
まずは我慢せずに話をするのが大人だと思うからだ。


我慢はその場しのぎにしかならず、根本的な解決にはならない。

我慢した人がいなくなったら、また新たに我慢する人が生まれることになる。誰かが一度我慢をしてしまうと、周りは「誰かにやってもらうのが当然」と認識する。誰かが我慢する状態がその環境で定着すると、別の選択肢を取ろうとしたとき、凝り固まった認識をほどいていく手間が増える。結果、我慢以外の選択肢が初めよりも取りにくくなってしまうのだ。

最初に我慢した人は負のループの生みの親と言っても過言ではない。

大人であれば、誰かが我慢しなければならない状態をなくす勇気が必要だと思う。我慢しなければならないのは、仕組みに問題があるからだ。我慢するのを最善策としてしまうのは、狭い範囲でしか考えられていないということだ。根本を解決するには、より広い範囲で考える必要がある。視野を広げて行動すると、視野が異なる人とぶつかるリスクもあるだろう。それも背負いながら、その場にいるすべての人たちが快適な環境になるように改善していくのが大人なのではないだろうか。

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この記事を書いた人

複業ライター。自分の人生に集中するためのコンテンツ作りを目指しています。

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